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【愛知県】歴史好きコンサルタントが現地で知った!桶狭間の戦いは“通説”と全然違った…

こんにちは。リージョナルキャリア愛知(株式会社リンク・アンビション)コンサルタントの花木です。

社内では「工作機械マニア」と評されることもある私ですが、実は歴史も好きでして、今回、歴史的にも有名な織田信長と今川義元の「桶狭間の戦い(1560年)」を深堀りすべく、愛知県内に点在する桶狭間の戦いの関連史跡を巡ってきました。

兵力4,000人ばかりの織田信長が、25,000人の軍勢を率いた今川義元軍に勝利した、歴史の教科書にも登場する日本史上屈指の名場面です。

その桶狭間の戦いにまつわる、歴史好きの私もまったく知らなかった驚きのエピソードが聞けましたので、歴史好き、特に戦国時代が好きな方にぜひ読んでいただきたいです。


【豊明市】桶狭間古戦場伝説地


まず、最初に訪れたのは、愛知県豊明市にある「桶狭間古戦場伝説地」。
合戦が行われたとされる場所は大きく分けて2つあり、そのうちのひとつです。

ボランティアガイドの方がいて、過去の文献も見せてもらうことができ、面白い話が聞けました。





桶狭間の戦いをめぐっては所説ありますが、今川義元は織田信長を弱小と侮り、攻めてくることはないと思い、余裕の酒盛りをしていた。という話が有名かと思います。
*私はその認識でした。

ただガイドさん曰く、実際は違うらしいのです。
ここからは図で解説していきます。



まず織田軍は、少数の兵で今川軍の大軍に立ち向かうため、「こちらが本隊」と見せかけて、①の桶狭間武路で今川軍と戦いました。
織田軍が本隊だと思い込んだ今川軍は、②の今川本陣より主力部隊を応援に送り出します。
この戦いの中で織田信長の影武者が討ち取られ、その首が信長本人のものであると誤認されました。当然、その報告は今川義元本陣にも伝わり、勝利を確信して宴会モードに切り替わったとのこと。

ここからが秀逸です。
今川本陣に首(実際は影武者)が届けられ、本陣と主力部隊で合流して皆で宴、となりそうなものなのですが、
織田配下の蜂須賀小六が農民に変装して根回しをしていて、主力がいなくなった本陣が動かないよう②の場所で必死に宴の準備を行い、今川軍の合流を妨害しました。
今川軍は、信長が死んだと思っているので、「まあ、いっか」となり、2手に分かれて宴が行われます。そうして主力がいないまま、宴で盛り上がっている本陣という状況ができあがります。

その後、戦の流れが大きく変わった午後2時の様子がこちらです。



実際には織田信長は生きており、主力部隊を率いた織田軍が酒宴を開き完全に油断している今川本陣を急襲。
結果、今川義元が討ち取られるという事態になったとのこと。


この一連の中で、なぜ今川義元は織田信長を討ち取ったと勘違いしたのか?首が織田信長本人のものであるかどうか確認しなかったのか、
と気になった方もいるかもしれませんが、実はここも重要なポイントです。

本来であれば、今川軍の中には、織田信長の顔を知っている武将がいました。しかし、従軍しているはずの武将がそこにいなかったため、正否が分からなかったのです。

その武将とはだれか???
徳川家康です。
徳川家康は大高城で休んでいたため、桶狭間の戦いには参加できず。
そのため、信長の顔を知る家康が首の確認をすることができず、今川軍は影武者の首を信長本人と誤認したまま油断してしまったのです。
ただ、これも今川軍の先鋒を任されていた家康は、まず、織田軍に包囲された大高城へ兵糧を入れることを命じられ、この作戦を成功させた後、丸根砦攻めを命じられました。その後の鷲津砦の攻撃にも参加することになり、本陣に近寄れない状況をつくりだされています。
もし、これらの流れがすべて織田信長の計算であったとすれば、敵の有力武将である家康を遠ざけておくという、見事な戦略であり、あっぱれです。


【名古屋市緑区】桶狭間古戦場公園と「義元首洗いの泉」


次に行った桶狭間古戦場公園(最初に織田軍と今川軍がぶつかった場所)。

ここには今川義元首洗いの泉等があるのですが、ガイドさんの言葉を信じるのであれば、だれの首を洗ったの?という状態です。
(ガイドさん曰く、ここで首を落としたのは信長の影武者であって今川義元ではないとのこと。)
*確かにその話が本当であれば、今川義元はここで戦ってないんですよね。。。。。





左は信長と義元の銅像。右が今川義元首洗いの泉。
あまり大きくはない公園ですが、歴史の重みは感じられました。
他にも近くは塚等も点在しており、いくつかまわってきました。
住宅街の隙間にあったりで分かりにくいところもあります。
一般の方の住宅のベランダの真ん前にあったりしました。

【名古屋市緑区】東海道沿いに残る古き日本の街並み


歴史に浸ったあとは少し休憩。有松絞りで有名な街並みを散策。



江戸時代後期〜昭和前期までの建物が並んでいます。名古屋市内にこんな場所があるんです。
有松絞りとは、愛知県名古屋市の有松・鳴海地域を中心に作られている、独特な模様を生み出す伝統的な木綿絞りの総称です。
有松絞りとともに発展したこの場所は、全国唯一の「染織町」として、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。



風情がありますね~。
有松絞りの体験教室や、お店もいくつかありました。




愛知は戦国時代では歴史的な出来事が多くあった場所です。
城や定石、古戦場跡、史跡など歴史的遺跡が数えきれないほどあり、また、歴史を学び体験できるような遺跡やミュージアムも多く、子どもから大人まで歴史や伝統を身近に感じながら暮らすことができます。
今回も、愛知県内の歴史にまつわる場所を実際に訪れたことで、現地に伝わる話をたくさん知ることができて、とても面白かったです。


歴史が好きだから愛知に住みたい。こんな気持ちで愛知に住んでみる。アリだと思います。

地元民として愛知の魅力をこれからも発信していきたいと思います。

花木 晃

この記事を書いたコンサルタント

花木 晃

HANAKI AKIRA

AREA:愛知

私自身、愛知県出身であり、長く愛知県での転職支援を行っておりますので、地元の事情や企業について詳しい情報をお伝えできるかと思います。転職は人生において重要な転機です。納得のいく選択ができるようサポートさせていただきます。